2匹の蛹が同時に1つの繭を作る、出荷できない「玉繭」を使い
座繰(ざぐ)りという道具で ゆっくりと手作業で紡いで合糸するため、通常より4倍ほど太く、
絹とは思えない、節があって均一でない糸になります。
伊兵衛織はこの座繰り糸の特徴を生かすよう、遠州の木綿を織るのに使われた手織機を使って
ゆったりと織り上げられ やや厚手のしなやかな一年中単衣で着られ 経年で風合いが変わり楽しめる布
昨年十月銀座にて伊兵織最後の作品展
伊兵衛織がこだわってきました国産の手紡ぎによる
絹糸(玉繭)の在庫が残り少なくなり、今回が東京での最後の展示
最終日の前日 思いがけず出かけることができ 紡いだ糸 たくさんの端切れサワサワ
受注してから糸を染め織り上げられる 待つ間に伊兵衛織貯金(^_-)-☆
1年待って手元に届きました~(●^o^●)
多彩色・横ヤタラ縞
地色はベージュなのですが蛍光灯の下で本来のお色ではありませんぽ
明日・お昼間に撮りなおしてみましょ

撮りなおしました~♪
お昼間の自然光・・・ こちらが本当のお色目です

アップで織りを・・・

単衣だけれど袷衣仕様
糸の太さ・節がよくわかります ツイードのような感じですよね
布地・・・ たくさん纏ってどのように変わっていくのか 楽しみです(裏地が擦り切れ付け替えするころ風合いが変わるらしい)
昨年お出かけした様子はこちら
伊兵衛織
民芸運動の流れをくむ伊兵織
遠州高林家14代当主の兵衛らが昭和初期に推進していた民芸運動は、使い込まれるほどに真の美しさを増す
「用の美」の追求が本質です。
そのため、作家の作った鑑賞するだけの物ではなく、実際に使う物として
職人という無名の作り手が生み出す作品に光を当てます。
伊兵衛織の誕生・・・ざざんざ織からの暖簾分け
高林家当主の屋号である「伊兵衛」が付けられたこの手織物は、
兵衛に民芸運動の提唱者・柳宗悦を引き合わせた浜松在住の学者・中村精の兄で 織物職人・平松実に
その起源を見いだすことができます。
兵衛の理想に共鳴した平松は、かつて家族が着るための衣類として農閑期に主婦が作っていた手織物を基にした
「ざざんざ織」という絹織物を創作します。
平松の後継者である長男が当時は不治の病とされた結核に罹ったため、ざざんざ織の後継者として
修業することになった次男、長男の病は奇跡的に完治
暖簾(のれん)分けのような形で独立し、ざざんざ織の流れをくむ織物を高林家の邸内で始めました。
こうして伊兵衛織が誕生したのです。
伊兵衛織
伊兵衛織は2匹の蛹が同時に1つの繭を作る、出荷できない「玉繭」を使い
座繰(ざぐ)りという道具で ゆっくりと手作業で紡いで合糸するため、通常より4倍ほど太く、
絹とは思えない、節があって均一でない糸になります。
伊兵衛織はこの座繰り糸の特徴を生かすよう、遠州の木綿を織るのに使われた手織機を使って
ゆったりと織り上げていきます。
紬は糸のゆとり、布のゆとりで空気が自然に出し入れされ、使ううちにだんだん体や動作にやわらかく添っていきます。
5年、10年と時を経過するに従って一般の紬とは着心地がまったく違って、使うほどに魅力が増してきます。
柄はシンプルな縞か格子で、デザインは兵衛が民芸運動当時に全国各地で織られた布を集めた「縞帳」などを参考に決められています。
菱形織・八寸帯(グレー)
